【傷心ドライブ】

 あたし、沼瀬衣玖(ぬませいく)は、今、アパートで同じ会社の同僚を待っている。
 彼女の名は黛早紀(まゆずみさき)ちゃん。あたしに続いて彼女も失恋をした。まあ、彼氏の浮気が原因らしいが、今日は彼女のストレス発散の為のドライブの為、こちらからは何も聞かない。
 準備をしていると、携帯電話が鳴った。

「もしもし、早紀ちゃん? 着いた?」
『着いたよ~』

 そう言われて部屋から出て、玄関に鍵をかける。ぐっとドアノブを引っ張り確認するが、きちんとしまっている。
 そして、階段を下りて、早紀ちゃんの車を見つめる。紫色に輝くボディの乗用車。あたしは車には詳しくないので名前を知らないけど、なんか可愛らしく見える。
 助手席側のドアを開けて乗り込む。荷物は後ろの席に投げ込み。シートベルトを着用をした。
 エアコンを利かせているものの、日差しの当たる部分はちりちりと暑さを感じる。変な日焼けをしないといいのだが……。

「それじゃあ、出発!」

 オートマのギアをチェンジする早紀ちゃん。なんか動きがたどたどしい。
 方向転換をしようとしているのだが、免許を持っていない私から見ても下手くそである。
 不安を感じ、勇気を出して聞いてみる。

「早紀ちゃん、前回運転したのっていつ?」

 運転をしつつ、早紀ちゃんは返事を返す。

「ん~、一年くらい前に一度運転しただけかな?」
「免許取ったのはいつだっけ?」
「ん~、一年前かな?」

 ペーパードライバーということが発覚した瞬間であった。
 誰だ! 傷心ドライブを企画したやつ!
 ちなみにその答えは、早紀ちゃんである。車を運転して気晴らしがしたいとのことであった。
 あたし自身はというと、軽い気持ちでいたのに、運転の怖さにぐっとお腹に力が入ってしまう。
 方向転換を終えた早紀ちゃんは、意気込みを一言。

「しゅっぱ~つ!」
「……」

 地獄へのランデブーが始まった。

 やや狭い道を走り出す。ハンドルがややブレて、よろよろと進む。

(ジェットコースターより怖い……)

 あたしのイメージでは、早紀ちゃんが軽口叩きながら、あたしが相槌を打つ。そんな感じのドライブを期待していた。
 現実はというと、早紀ちゃんは無言で真剣に前を見つめ、あたしも無言で硬直している。正直、話しかけるのが怖い。話しかけた途端に集中力が切れ、ぶつけたりしないかとはらはらしてしまう。
 走り始めてしばらくすると、片側二車線道路に出た。少しほっとしたが、あたしの腹筋の力が抜けることはなかった。
 道路が広くなったらなったで、違うベクトルの怖さがある。車線変更の時、ウインカーを出し忘れて急に車線を変えたり、他の車よりものろのろと走っていて、後ろから煽られてしまうのではないかと、気が気ではなかった。
 早紀ちゃんは横目でちらりと確認する。先ほどよりも余裕が出たように見える。ちょっと質問をしてみる。

「ねえ、若葉マークってつけてる?」
「え? 免許取り立てじゃないからつけてないよ?」
「……いや、免許取り立てじゃなくても、運転に自信がないならつけていいやつだから!」
「運転に自信はあるから大丈夫」
「……そう……」

 なんか涼しくなってきた。それはエアコンのおかげではなく、冷や汗というもので。
 ナビはついているが、特に目的地設定はしていない。自由気ままに走ろうという趣旨なのだが、そのために迷走している。
 間違った道に入り込み、一方通行の標識のおかげで、迷路状態になっていたり、行き止まりに突き当たり、方向転換をしたり。
 方向転換が苦手なのか、変なタイミングでハンドルを切っている。駐車場入り口を方向転換に利用したのだが、縁石の低い位置に入り込むことができず、高いところに乗り上げてしまっている。
 一応、私も窓から顔を出したりして、協力はしているのだが、言うことが上手く伝わらない。たかが二人の伝言ゲームで、なんで伝わらないのだろうと思ってしまう。
 走っているとナビから音声が聞こえてきた。

『そろそろ一時間が経ちました。休憩しましょう』
(あたしも同意だよ! 休憩しよう! いや、させて下さい!)

 そう思って、早紀ちゃんに提案する。本人が運転の自信を無くして、余計にあたしが不安にならないように、オブラートに)

「早紀ちゃん、そろそろカフェかどっかでなんか食べない?」
「お~、いいね。じゃあ、どこに行こうか?」

 この近辺に、何のお店があったか、記憶を辿る。

「確か、コッペパン専門店がなかった? そこなんてどうかな?」
「ああ、前に二人で行ったあのお店ね。オッケー!」

 そして、目的地に着いた。駐車場のあるそこそこ大きなお店。
 車を駐車するのに、またもたもたしている。どうもバックするのが苦手らしいな~。

 なんとか車を停めると、あたしは腹筋の力を抜いた。
 極度のストレスでげっそりと痩せるということがありそうだが、こういうことなの? 腹筋に力が入るから痩せるの?
 そんな嬉しくないダイエットを体験した気分である。

 車を降りて、早紀ちゃんがリモコンで鍵をかける。あたしは鍵がかかったかを確認すべく、ドアを開けてみる。すると普通に開いた。

「早紀ちゃん、鍵がかかってないよ」
「あれ? ボタンが違ったか?」

 押しなおしてウインカーが点滅したので、また引っ張るが、再び開いた。

「押すところ、間違えてない?」

 あたしも早紀ちゃんの手元のリモコンを見つめ、どれを押したのかを聞いてみる。

「この大きい方を押した」
「こっちの小さい方じゃない?」
「こっちもさっき押したつもりなんだけどな」

 そういうと、小さい方のボタンを押した。ドアを確認したら閉まっている。

(さては、押したつもりが押してなかったな……)

 どっと疲れたし、日差しもちりちりと焼いてくる。早く休憩をしたい。
 早紀ちゃんの背中を押すように、店内に入った。

 中に入ると今まで車に乗っていたのとは違う、涼しさを感じる。これが正しい涼しさである。今までのは血の気の引くような涼しさである。
 メニューを見ると、色々なコッペパンの写真が並んでいる。

(やはり失恋には甘さが必要だろう)

 まあ、今回の失恋は早紀ちゃんなのだが、自然と腹筋運動をしたので、なんか甘いものが食べたい気分になっただけである。
 早紀ちゃんはエビタルタルコッペパンで、あたしは、キャラメルつぶつぶコッペパンを頼んだ。もちろんドリンクセットである。冷や汗掻きすぎて、喉が渇いた。
 注文を終えて順番を待つ。先に席を取っていても大丈夫そうなので、席を確保してその場で呼ばれるのを待つ。
 番号が呼ばれたので、あたしが取りに行った。あまり早紀ちゃんを疲れさすと、帰りの運転が怖いし……。
 そして、テーブルにコッペパンと飲み物が載ったトレーを置く。
 ストローの袋やら、ペーパーナプキンが、エアコンの風で吹き飛ばされそうになる。
 席を変えようにも、天井を見ると、あちこちにエアコンがついていた。
 どこの席に場所を変えても、結果は同じそうなので、そのまま場所は変えないことにした。
 包みからコッペパンを取り出し、パクパクと食べる。キャラメルの甘さよりも、ピーナッツの味が強い。最近自宅で食べた、南部せんべいを思い出してしまう。ちょっと選択ミスをしたかもしれない。
 ここで時間稼ぎをしてくつろぎたいが、なにせエアコンが効きすぎている。食べ終わるとすぐに出る羽目となった。

 そして、その後も近辺をドライブする。あまり遠くへは行かない。三連休の中日の為、行楽地などは混んでいそうだからである。
 以前、あたしの傷心旅行に付き合ってくれたのだから、あたしも早紀ちゃんの傷心ドライブに付き合う覚悟はあるのだが、命を捨てる覚悟はない。
 あたしはこの後も車内で大人しくしていた。

 夕方になり、あたしのアパートまで送ってもらう。夕食を一緒に食べずに解散となったのは、早紀ちゃんの集中力が切れてきたからである。
 早紀ちゃんは帰りもあるのだから、温存しておかねばならない。
 早紀ちゃんの車が去っていくのを見送ると、自分の部屋に入りつつ思った。

(今後はドライブじゃなくて、また電車での旅行にしよう。まあ、早々傷心とかないだろうけど……)

 そんなフラグを立てつつ、あたしは室内で疲れた腹筋を癒した。

コメント