【初日】
あたし沼瀬衣玖(ぬませいく)は西武池袋線の地下改札を出た切符券売機の近くで友達を待っている。友達と言っても同じ会社の経理部の同僚である。
あたしは時間に余裕を持って行動しないと心配なタイプ。一方、友だちである黛早紀(まゆずみさき)ちゃんは時間が勿体ないからとギリギリで行動するタイプ。お互いタイプは違うけど、気を許せる仲である。
今回の目的は、あたしの傷心旅行。あたしが彼氏に振られたことを早紀ちゃんに愚痴ったら、早紀ちゃんが企画してくれた。あたしは良い友達に恵まれて嬉しいよ! 男運は悪かったみたいだけど……。
しかし、あたしが電車に乗っているとLINEの着信音が鳴った。嫌な予感がしつつ、待ち会わせ場所に着いてからLINEを確認した。案の定、『電車を一本乗り遅れた』と送られていた。
「マジか……」
そう思いつつも、早紀ちゃんの通常運転なので、仕方なく待つ。あたしが早く来たことと、早紀ちゃんが遅れてくることで、合計ニ十分の待ちぼうけ。やがて、早紀ちゃんの姿が見えた。人混みの中、自分の存在を知らせるために手を振る。それに気が付いて早紀ちゃんも手を振りながら歩いて向かってくる。そこは悪びれて走ろうよ。
合流して開口一番。
「ごめん、ごめん。家の鍵をちゃんと閉めたか忘れて、一度家に戻ったら遅れた。結局鍵はかかっていたから無駄足になったけどね」
「も~、相変わらずだね」
「まあ、スペーシアに乗る時間には間に合ったのだから、結果オーライということで」
「罰として、ジュース一本おごりね」
「え~、あたしたちの仲じゃん」
「いや、罰がないと早紀ちゃんは、どんどん遅くなるもん」
早紀ちゃんのことはお見通しだよ!
「まあ、ジュースで済ませてくれてありがとうございます。お代官様」
へへーっとあたしを崇める。あまり反省していなさそうだったので、スイーツを奢らせるべきだったか? と思ったが、今回の旅行はあたしの為に企画をしてくれた旅なので、やめておいた。
「JRの券売機に行って券を買おうよ」
早紀ちゃんも同意してJR駅に向かう。早く話題を変えたかったのだろうなと内心で笑いつつ移動する。券売機でスマホのQRコードを読ませて発券した。
「時間まだあるね? ここで涼む? 」
やはり早紀ちゃんは相変わらずだよ。あたしが主導権を握る。
「ホームで待とう。今度こそは乗り遅れが許されないからね」
早紀ちゃんが申し訳ないと言っているが、この程度のいじわるはいいよね?
ホームに行くが、湘南新宿ラインが五分遅れだった。平日の出勤時間なので、遅延が発生しているようだ。そして、八分遅れでスペーシアが来た。ホームの暑い中で待たされていたので、車内の涼しさにほっと一息ついた。乗車券の席を確認して、網棚に荷物を置いてから席に座る。そして、早速持ってきたお菓子を広げた。
電車は停車駅が少なくどんどん進んで行く。東京のごちゃごちゃした街並みから一変して、田畑が増えていた。田んぼを見ると稲が立派な稲穂を垂らしている。所々に木が群生して、林やちょっとした森になっている。黄金色の田んぼを見ると、ナ○シカを思い出し、森を見るとト〇ロを思い出す。まるでジ〇リの世界に迷い込んだ感じだ。時折、鉄塔が見えていい景観を妨げていたが妥協範囲内。更に進むと、遠くに見えていた山々が、どんどん近づいてくる。そして二時間程で日光に着いた。
日光に着くと早速食べ歩きを始める。国道を歩いて、東照宮方面を目指す。途中で揚げ湯葉を食べた。味も食感もただの揚げ団子みたいな感じで、湯葉の味がしない。それならばと湯葉コロッケと湯葉カレーコロッケを買って、二人で分けた。食レポとしては、普通にコロッケとカレーコロッケだね。やっぱり変わったものを選ばず、王道の生湯葉の方が美味しい。生湯葉を食べようとお店を探したけど、観光地価格でびっくりするくらい高いからやめたよ。
諦めて国道を突き当りまで進んで行くと、世界遺産の『日光の社寺』の石碑が見えたので、そこを通って行くことにした。
国道には日陰がなかったけど、公園内は大木が沢山そびえ立っており、どこも日陰だった。湧水も道の両端を流れていて、せせらぎが聞こえてきて心地よかった。時期は九月でまだ暑いが、公園内は幾分涼しかった。まあ、それでも暑いけどね。日陰と湧水のせいか、コケに覆われて貫禄のある石垣が出迎えてくれる。東照宮方面に向かいつつ、神社で参拝をした。もちろん良縁だよ! 恋愛運を上げるためだよ!
参拝しようとお財布を見ると、一円玉、十円玉、百円玉の三種類しかなかった。一円玉は却下。願いに対してケチりすぎると、次の恋がろくなことにならない気がした。十円玉もダメ。遠縁です。なので、ご縁が良くなる五円玉が良かったな~と思いつつ、奮発して百円玉にした。流石に薄給のあたしは千円札を入れる勇気はなかった。百円で願いを叶えて貰うというのも、神様に申し訳ない気がするけど、これで勘弁して下さい。二礼、二拍手して願い事を頭の中で思い浮かべる。そして最後に一礼した。
坂や階段が多かったので、だらだらと歩いていたら、あっという間にチェックインの時間になった。会社の保養所に向かった。保養所は更に坂を上るので、着いた時にはぐったりとしていた。
午後三時過ぎに到着。ちょうどよい時間に着いた。フロントで手続きを済ませて鍵を受け取る。部屋番号は二〇六だ。鍵を開けて部屋に入る。二人で使うには広々としている。畳を数えてみたら十畳あったよ。私の部屋より倍ぐらい広い。
荷物を置いて早速くつろぐ。だらける。二人でトドになる。普段歩き回らないから、足が棒になった。座ってばかりいる事務職の体力の無さを見くびってくれては困るね。ごろごろしつつ、館内案内に目を通した。卓球が出来るらしい。そこそこ休憩したらフロントで道具を借りて、早紀ちゃんと対決! 体育館には卓球台が三台置いてあった。真ん中の一台を使う。
以前やったときは、のほほんとした温泉卓球だった。だが、今回はパリオリンピック後のせいか、今までと違い本格的なラリーが続いた。本格的といっても素人レベルの本格的という意味だが。
スポーツの神様が舞い降りたようだが、今回舞い降りてきて欲しいのは恋愛の神様。しばらくやっていると他の宿泊客が覗きに来てやろうとしているようであった。あたしたちはたまに打つホームランを見られないように、そそくさと部屋に戻った。体育館はエアコンがついてなかったし、いい汗かいたからお風呂に入ることにした。
お風呂はそこそこの広さの大浴場。外に目隠しがないから覗けてしまうのではないかと心配したが、そんな不埒ものはいないでしょう。大浴場の脱衣所で服を脱いで中に入る。
お風呂は扇形と丸形の二つがある。二つと言っても繋がっているから、実質一つだけどね。
身体と頭を洗って内湯に浸かる。ジャグジー気分の泡がぼこぼこと出て来て気分がいい。温泉ではなく循環式なのが残念だけど、そこは勘弁してあげましょう。お風呂の温度が熱めなので、のぼせないうちに早々と撤退。脱衣所で髪を乾かし、扇風機で涼むを早紀ちゃんと交代で繰り返した。平日のせいか貸し切りを満喫出来ました。
部屋に戻り再びくつろぐ。やることがないので、テレビを見ていた。しばらくするとアナウンスが聞こえた。何を言っているのかは分からないけど、時間的には夕食だ! 楽しみに二人でいそいそと食堂に向かった。部屋番号のテーブルを見つけて席に着く。
豪華に見えるが、大半は何の料理か分からない。お品書きでもあれば良かったのに。ご飯をよそい、いただきます。
「これ、なんだろう? 」
パクリと口にする。うわっ! 辛い! 早紀ちゃんも辛いと言いつつ食べる。
「なんか辛い味付けが多いね? 前に来た時もこんなだっけ? 」
早紀ちゃんの質問で以前に二人で来た時を思い出してみる。う~ん? こんなに辛いものは多くなかった気がする。お世辞にも美味しいとも感じない料理を食べていく。まあ、不味くもないので味は普通って感じ。あれか? 物価高のせいで料理の質が下がったのか? 最近はお米も高いと騒がれているしね。電車に乗っている時は稲をいっぱい見たけど不思議だね?
食後に部屋で二次会の準備をした。二次会というか、ただ飲んだくれるだけだよ。おつまみ、お酒、準備は万端。
早速、元カレに対する愚痴を酒の肴にしたいと思います。そして恋バナをした。いや、恋バナというかほとんどは元カレに対する呪いの言葉をかけていたのだけどね。
【二日目】
朝、目覚めると朝食の時間まで、布団でごろごろしつつ、見もしないテレビをつけっぱなしで、今日の予定を相談する。
「今日はどこに行く? 」
早紀ちゃんの言葉に考える。保養所に向かう途中で東照宮を通り道に使ったけど、小学生の団体ご一行様がわらわらといて、騒がしかった。東照宮はパスだな。
「華厳の滝……かな? 」
あたしは子供の頃に華厳の滝を見たけど、覚えていない。なのでまた見たいな~って感じだ。
「ほい。じゃあ、近くに中禅寺湖もあるからそこも行ってみようか」
そして、朝食を食べる。まあ定番の朝食という感じでしたね。食後に部屋に戻ると布団がしまわれているのでごろごろできない。それじゃあ行きますかという感じでのらりくらりと準備を始める。そして、不要な荷物は部屋に置いておき、保養所から出かけた。
保養所に来る時が上り坂だったので、今度は下り坂なので楽である。バス停についてしばらくするとバスも来たので、フリーパスを見せて乗車する。普通に路線バスだが、東京と違って乗車賃が均一ではなく、停留所ごとに金額が上がっていくのが怖い。フリーパス様様である。
バスがいろは坂を通って行く。坂を見ていたらカーブにそれぞれ『いろは』の順番に看板が立っている。だが、看板をよく見ると『第二いろは坂』と書いてある? 第二? 第一と第二があるの?
あたしの記憶の中では一つだった気がするけど、何しろ子供の頃のことなので、ちゃんとした記憶がない。窓の外を見ると、二車線を車がバスを追い越していった。こんなところで追い越し運転なんて危ないな~と思っていたら、二車線とも同じ方向で逆走しているわけではなかった。ん? ということは、第一いろは坂が下り坂なのか? と考えつつ更になんで行きが第二で帰りが第一なのだ? という疑問もわいてきた。まあ、どうでもいい疑問なのだけどね。
終点の中禅寺温泉という所に着くとバスを降りて、華厳の滝に向かう。途中で華厳の滝が見えたが、下から見ようということになり、エレベーターの入場券を買った。エレベーターでしか下に行けないようになっているみたいだ。券は昔の電車の切符みたいにハサミで切り込みを入れて入場する。エレベーターに乗ると少し待つ。遠隔操作運転なので、今向かっている他のお客さんが来るまで出発してくれない。そこそこ人が来たら出発した。
一気に百メートルを降りた。ドアが開くと通路を進んで行くが、中はひんやりとして気持ちいい。進んで行くと華厳の滝が見えた。見上げるとなんかかっこいい。外人さんの観光客が沢山いて写真を撮っていた。あたしのおかげでも何でもないが、なんとなく誇らしい。日本の素晴らしさを知って貰えた気分だ。そして、あたしたちも華厳の滝を見上げる。
自然の雄大さに自分がちっぽけに見えた。元カレに振られたぐらいなにさ! って感じで癒された。水飛沫が飛んでくるが気持ちがいい。マイナスイオンも出ているのかな? あたしたちも写真を撮った。名前や日付を彫れる記念メダルの自販機がある。昔ながらの観光地という感じだ。流石にいらないのでやらないけどね。
そして、またエレベーターで上に戻っていく。
次は中禅寺湖に向かって歩いた。中禅寺湖に木製のオブジェのような物があった。『G7 NIKKO』。どうやらG7の開催地らしい。湖を走る遊覧船が見えたので、乗り場の方に向かって行く。乗船券売り場の建物に入ると、親切な係員さんが教えてくれた。
「次の便は小学生の団体様が乗りますよ」
それを聞いてあたしたちはやめた。都会の騒音から逃げてきたのに、同じような騒音を聞きたいとは思わない。せっかく来たのだし、スワンボートに乗ろうということになった。
スワンボートを借りて二人で騒ぎながらペダルを漕ぐ。あまり遊覧船に寄って行くと衝突が心配なので隅っこの方でぎこぎこと漕ぐ。時折遊覧船の波でグラグラ揺れて、きゃあきゃあ騒ぐ。三十分はあっという間に終わり、スワンボートを返した。
するとお店のソフトクリームの十%割引券を貰った。せっかくなので食べることにした。あたしは湯葉ソフトで早紀ちゃんはレモン牛乳。食べてみると湯葉味が強すぎて、ソフトクリームを食べている感じがしなかった。甘さが欲しかったのだよ。元カレのことを忘れるためにも甘味は必須だよ。うん。
残念感を感じつつも急いで食べる。なにしろ日差しが強くてどんどんソフトクリームが溶けていく。二人とも無言で必死に食べる。
バス停に戻る頃には食べ終わった。そして、またバスで来た道を戻る。途中でバスを降りて小っちゃなEVバスに乗り換える。でも、乗り換えまでに時間があるので、時間つぶしが出来ないかと辺りを見渡した。パンケーキ屋さんがあったのでそこのお店に入った。
メニューを見ると背徳感を感じるくらいパンケーキに生クリームがのっている。これは食べるしかないね。
二人で背徳感満載のパンケーキを食べた。早紀ちゃんは生クリームの甘さがちょうどいいと言っているが、あたしはもう少し甘いほうがいい。この差は失恋分の甘さが足りないのか? などとくだらないことを考えつつも更に食べる。食べ終わると、バスの時間が近づくまで少し店内でまったりと過ごす。そろそろバス停に行こうとお会計をする。お会計をしている時にケーキが飾られているショーケースに目をやる。モンブランが美味しそうにそびえ立っている。それに後ろ髪を引かれつつバス停に向かった。
少し待つと来た。ちょうどよかった。赤くて小柄で可愛らしいバスに乗る。行くのは終点である東照宮までである。どれだけ東照宮を参拝しないで通り道に使っているのだって話。終点に着くと、保養所に帰るために歩く。保養所は送迎バスもなければ、そばを通る路線バスもない。まあ、こういう所は不便さも楽しむべきだな。
保養所に着くと部屋のエアコンをがんがんに効かせる。汗だくである。休憩しつつ涼み終えると、お風呂に入るか卓球をするかの多数決をとった。その結果、卓球をすることになった。二人で多数決も何もないけど。
卓球をする。だが、なんとなく筋肉痛も感じる。昨日ほど上手にラリーが出来ない。昨日のラリーはどうやらまぐれのようであった。そこそこ遊んで部屋に戻る。汗をかいた服を着ているのも気持ち悪いから着替えたい気もするけど、もうすぐ食事の時間なのでのんびりとお風呂に浸かることも出来ない。仕方なく我慢することにした。
アナウンスが鳴り食堂に向かう。シーズン期をずらしてきたせいか、似たような食材で料理が出されている。フードロスですか。いいことなのだけど色々なものが食べたいという気持ちもあるのだよ。
食後、部屋でお腹を休ませる。お風呂は午後十一時までなので余裕を持って入れる。今日はお酒を飲まない。というより昨日の夜に飲み尽くした。
することがないので、テレビをつけっぱなしにして二人で雑談をする。テレビの役割はいったい……などとは考えもしない。雑談に夢中である。
そして、お腹が休んだ所でお風呂に入る。他のお客さんたちは夕食前に入ったのか、また貸し切り状態である。身体を洗ってさっぱりした。それにしても湯船のお湯が熱い。食堂で他のお客さんを見た時、年配の人が多かったからぬるいとでも苦情が来ていたのか?
熱いことを利用して、二人で我慢大会をする。あたしが先に出た。五分と持たなかったわ。
お風呂を済ませて部屋に戻る。そして、満喫できたせいか、あたしたちは東京が恋しくなった。来るときも日光だ、うきうきわくわく。帰りも東京だ、うきうきわくわく。一粒で二度おいしいとはまさにこのことだ。
そして、眠りにつく。体力がない、か弱いあたしたちはぐっすりと眠りについた。
【最終日】
爽やかな目覚め……とはいかなかった。身体中がバキバキと痛む。はい、筋肉痛になりました。布団でうだうだしつつ、朝食のアナウンスを待つ。朝食を食べ終わると急いで荷物の片づけを始めた。帰りのスペーシアに乗り遅れたらめんどくさいことになる。
荷物の忘れ物ないかと確認をした。
「忘れ物ないね? 」
「ほい」
荷物の忘れ物はないが、ありがたいことに元カレの存在を忘れた。それはそれで目的を果たす旅となった。
チェックアウトをして、バス停に向かう。下り坂だが昨日とは違って大荷物を抱えている。歩みは遅い。でも、バス停には時間前に着いたよ。
日陰に隠れるように入ってバスが来るのを待つ。しばらくすると路線バスが来た。フリーパスを見せて乗車する。日光駅に着くと会社に持って行くお土産を選んだ。早紀ちゃんと被らないように相談しつつ。
お土産を買い終えると、待合室でスペーシアが来る時間まで待った。そして、スペーシアが来ると時間的に余裕があっても何故か慌てて乗り込む。人は誰でもこんなものなのであろうか?
あたしたちは席に座って、やるべきことをやったとほっと気が抜ける。スペーシアが出発するとあたしたちはお互いの頭を寄りかからせて眠りについた。
見知らぬ人と恋に落ちる夢を見ながら、東京へと帰った。
コメント