「明日は期末テストか……帰って勉強をしないといけないから、嫌だな~。中学生なんて、まだ遊びたい盛りだよ」
学校の帰り道。僕は不貞腐れ気味に、道路に落ちていた小石を、足のつま先でコツンと蹴った。
その小石が、飛んでいく先を見ていると、白い猫に当たりそうになった。
「にゃ~」
白猫は、威嚇体制を見せる。よく見ると、首輪をしている。飼い猫だろうか。
「ごめんごめん、君に当てるつもりはなかったんだ」
言葉は通じないはずだが、白猫は威嚇をやめて、背を向けた。そして顔だけ振り返り、再び優し気に「にゃ~」と声をかけてきた。
僕は、その白猫が呼んだような気がして、白猫の後をついて行った。
時には公園の草木を掻き分け、時には狭い路地をカニ歩きしたり。そして、辿り着いた先には『芳香喫茶』と看板を掲げているお店が見えてきた。
白猫は更に進み、そのお店の入り口ドアの前に座った。
「にゃ~」
白猫は、僕に早く来いと言わんばかりの顔つきで、こちらを見る。
僕はそのお店の入り口を見る。ドアには木製のプレートがかかっており、そこには『CLOSE』と書いてある。
「ここが猫さんの家? お店は開いてないみたいだよ?」
猫に証拠を見せようと、ドアノブを押してみる。すると、空いてしまい、チリンと鳴った。
僕は慌てて、本当に猫が入っていいのかわからず、引き留めようとするが、僕も入るわけにはいかない。内心でどうしようと思考をめぐらせていると、優し気な女性の声が聞こえた。
「コウさん、いらっしゃい。あら? お友達も連れてきたの? どうぞ座って」
女性に促されて、ドアを閉める。そして、カウンター席に座った。
「はい、コウさん。いつものやつね」
女性はそういうと、ペット用のお皿にミルクを入れて床に置いた。白猫こと、コウさんは、それを美味しそうにぺろぺろと舐める。
眺めていると、ふわりと香る。何かの花の匂いがする。
「コウさんのお友達はこれね」
そう言うと女性は、黒っぽい液体の入ったカップを僕の前に置いた。
「え、えっと、お金を持ってないんですけど」
「コウさんからの奢りです」
猫より格下感。せめて、対等になるように、名前ぐらいは名乗っておく。
「僕の名前は、杉本卓也です」
「卓也君ね。私の名前は、香園紗耶香です」
紗耶香さんが魅惑的なせいか、照れてしまう。誤魔化すように、黒っぽい液体のカップに口をつける。
(ミルクココアか。コーヒーかと思った)
仄かな苦みと適度な甘みが美味しい。二口三口と口にしてから、確認の質問をする。
「このお店の猫だったんですね」
「ん? 私はコウさんを飼っていないよ? コウさんはお客さんだよ」
僕は見開いた目と一緒に口も開く。
「え? お客さん?」
「そう、お客さん」
紗耶香さんは、にこにこ笑顔でそう答えた。
よく分からないが、コウさんのおかげで、ミルクココアをただで飲むことができた。その辺は得した気分だ。
そう思っていたら、コウさんは飲み終えたらしくて、ドアの前で「にゃ~」と鳴いている。
紗耶香さんは笑顔でドアを開けて、「またのご来店をお待ちしております」と言って、猫を送り出した。
僕は帰るタイミングを逃した。
大人の女性と二人きりの空間。何か話さないと気まずい。
何か話題がないかと、目だけをきょろきょろと辺りに見回すと、小さな陶器があり、そこから花の香りがふわりと薫る。
「あ、あの、この陶器ってなんですか?」
コウさんを見送り終えてカウンター内に戻った紗耶香さんに聞いてみた。
「ああ、アロマポットね」
「アロマポット?」
紗耶香さんは人差し指でそれを指して、説明をしてくれる。
「アロマってあるでしょ? 植物の精油。それを陶器の上の小皿に数滴垂らすの。それが下のライトで熱せられて、香りが広がるようになっているのよ」
「へ~」
男子としか遊ばない僕にはよくわからない。まあ、香りが広がるってことだろう。
そう考えながら、ミルクココアに口をつけると、紗耶香さんが補足説明をする。
「ちなみに、今垂らしているのは、ローズ・アブソリュートです。アロマにはそれぞれ効果があって、ローズ・アブソリュートには、『記憶の割合』が増えたりするの」
それを聞き、僕の頭にはゲームが思い浮かぶ。ポーションみたいなものだろうか。いや、ゲームのポーションは、飲んだりかけたりしていたか。これは香りだから別物だろう。
「……魔法?」
紗耶香さんは、クスっと笑う。
「確かに不思議だよね。人の心身に影響を与えるのに、医療行為ではない。じゃあ、なんだろう? ってなるよね。そういう意味では魔法だね」
再びゲームを思い浮かべる。今、僕は『バフ』という支援魔法を受けていることになる。
「ねえ、これって『記憶の割合が増える』って言ってたよね? 頭良くなる?」
そう質問すると、紗耶香さんは右手の人差し指で、僕のおでこをツンツンと突っつくと、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべる。
「卓也君の頑張り次第だね」
その回答を聞いて、ガタンを席を立つ。『バフ』が切れないうちに、勉強をしたい。テストは明日。一夜漬けではあるが、『バフ』のおかげかやる気もみなぎる。
「ご馳走様でした!」
お礼を言って、『芳香喫茶』から飛び出した。
***
家で勉強をしてみる。『バフ』いや、『アロマの香りの効果』がまだ続いているのか、いつもよりはやる気がある。紗耶香さんは『記憶の割合が増える』と言っただけなので、やる気が起きているのは思い込みだろうけど。
勉強を進めていくと、問題を解く効率は上がった感じはしない。だが、記憶力は上がったような気がする。暗記問題などは、スラスラと呟くことができる。まあ、これも思い込みかもしれないけれど。
なんであれ、勉強嫌いの僕にはありがたい。勉強の効率が上がれば、スライムみたいに机にへばりついている時間が減るのだから。
そして、いよいよ期末テスト。
僕にしては勉強をした方である。
先生の『開始』の合図で僕は問題を解き始めた。
***
期末テストの結果が返ってきた。
成績は良い方ではないが、前回よりは上がっている。これもアロマとかのおかげであろう。
「お母さん、ちょっとお小遣いくれない?」
「何に使うの?」
「ちょ、ちょっと喫茶店に行きたくて」
「喫茶店? じゃあ、お母さんも一緒に行くわ」
そう言われて、慌てる。喫茶店にお母さんと一緒というのは、同級生や紗耶香さんに見られたら恥ずかしい。そういう年頃なんだから、察して欲しいが、言わないとわかってもらえないだろうと思い、言葉にする。
「い、いや、もう中学生なんだし、お母さんと一緒に行くなんて恥ずかしいよ」
「あら、そう? この前までは、むしろ、たっくんが『お母さんと行く』って言ってくれていたのにね」
本当のことを言われて、恥ずかしさで顔が赤くなりそうだ。ムキになって些細ではあるが訂正をする。
「い、いや、一年以上前のことじゃん! それと、たっくん呼びも、もうやめてよ!」
「はいはい。わかりましたよ。たっくんは今回の期末テストの成績がよかったから、少しだけご褒美としてあげるわよ」
たっくん呼びは変わらないようだが、お母さんの同伴は食い止められたので、良しとする。
僕は「ありがとう。いってきます」と言って、『芳香喫茶』へと足を運んだ。
***
白猫。いや、コウさんに教わった道を進んでいく。
前回、コウさんと出会い、そして、喫茶店へと導かれた。
僕の中では、不思議な喫茶店である。きっと道も不思議でないと、辿り着けない気がする。
一人、冒険気分で『芳香喫茶』に辿り着いた。
ドアの木製プレートに視線を向ける。前回は『CLOSE』の状態で入ってしまったが、今日はちゃんと『OPEN』となっている。
ほっと息を吐いて、ドアを開けた。
ドアベルがチリンと鳴る。
「いらっしゃいませ」
紗耶香さんの声が出迎えてくれた。
辺りをきょろきょろすると、テーブル席にはお客さんがちらほらといるが、カウンター席には誰もいない。
ちょっと緊張しながら、カウンター席につく。
「ご注文は?」
「ココアで」
「はい、かしこまりました」
紗耶香さんが背中を向けて、ココアを入れている。
その間に、香りが漂ってきた。
紗耶香さんの背中に語り掛ける。
「ねえ、紗耶香さん。この香り。前回のローズなんとかってやつと違うやつなの?」
紗耶香さんはココアを淹れ終わり、カチャリと僕の前にカップを置きながら答える。
「ええ、そうよ。今日のは『イランイラン』って言って、リラックス効果があるの」
「へ~、そうなんだ。でも、僕はこの前のローズの方がよかったな。だって、紗耶香さんの……」
そこまで口にして、慌てて両手で口を塞ぐ。
『紗耶香さんの香りって感じで、僕は好き』
そんなことは恥ずかしくて言えない。慌てて誤魔化しの言葉を口にする。
「い、いや、そういえば、期末テストの点数が良くなっていたから。頭が良くなった気がして嬉しかったから」
僕を見て、紗耶香さんがくすくすと笑う。内心を見透かされたようで、頬が熱くなる。
『アロマが魔法なら、紗耶香さんはなんでもわかっちゃう魔法使いだな』
そんなことを思い浮かべながら、ココアの苦味と甘味を味わった。